考え、考え、考える 『サマリア』

みなさん、こんばんは。
最近は一時期の暑さよりはやわらいできて、すごしやすいですね。
網戸に穴が開いているのか、足を蚊に食われた気がします。笑

二週間前に観た、『サマリア』についてなにも書いていませんでした。
せっかくなら記録に残しておこうと思い、すごいつたない感想なのですが読んでもらえたらうれしいです。

『サマリア』は、韓国の鬼才、キム・ギドク監督の作品です。
最近日本でも公開されている、『嘆きのピエタ』という作品が気になったので、予習で観てみました。

ちなみに『嘆きのピエタ』はベネチアで金獅子賞も受賞した作品です。韓国映画で初らしいです。
監督の作品は、韓国では賛否が分かれてるみたいで、上映できるか判定を受けてたりします。

・「嘆きのピエタ」キム・ギドク監督 「社会にはびこる暴力と戦う」 贖罪の物語
 http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130614/ent13061408260003-n1.htm

・キム・ギドク「『メビウス』屈従的な編集…3度目の審議を申請する」(公式立場) 
http://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=1973696

『サマリア』

ヨーロッ パ旅行に行くお金を集めるために、チャットで知り合った男たちと援助交際をする女子高生ヨジン(カク・チミン)とジェヨン(ソ・ミンジョン)。

ヨジンが ジェヨンのフリをして男たちとチャットをし、電話をかけて会う約束をすると、ジェヨンがラブホテルで男たちと会って援助交際をする。ジェヨンが男たちに 会っている間、ヨジンは外で待つ。

顔も知らない男たちと会ってセックスをしながらも、常に笑顔を失わないジェヨン。ヨジンは男たちとの出逢いとセックスに 意味を付与するジェヨンを理解できない。お金を与えて女子高生の体を買う男たちは、ヨジンとって皆汚くて不潔な存在だ。


そんなある日、ラブホテルで男と会っていたジェヨンは、突然押し入った警察から逃げようとして窓から落ち、死んでしまう。ジェヨンの死に大きな衝撃を受け たヨジンは、ジェヨンを追悼するために、手帳に記された男たちを順に訪ねて行く。援助交際でジェヨンがもらったお金をヨジンが順に返し、男たちは逆に安ら ぎを与えられる。


男たちと寝た後、男たちを篤実な仏教信者として率いたインドのパスミルダのように、ヨジンもまた、関係を結んだ男たちを順に浄化してい く。


刑事ヨンギ(イ・オル)は、事件現場で偶然に自分の娘ヨジンが男と一緒にラブホテルにいるところを目撃する。妻と死別し、娘と二人で暮らしてきたヨン ギ。娘の行動は、途方もない衝撃としてヨンギに迫り、彼はヨジンを尾行し始める。


という話なのですが、すごくすごくすごく難しいので、
どうかこちらを読んでから、私の感想も読んでください。 (リンクフリーです)

すばらしくわかりやすい説明をしてくださってます。

暗いし、重いし、グロテスクだし・・・でも、引き込まれました。

<バスミルダ>インドの伝説の娼婦の名前 ・・・ジェヨンの物語
<サマリア>聖書に登場する“サマリアの女” ・・・ヨジンの物語
<ソナタ>交響曲の三部形式のこと、そして、韓国の一般的な自動車の名前 ・・・ヨンギの物語


この3部構成です。 つたないながら、思ったこと、感じたことを書いていきます。

<バスミルダ>
ジェヨンは嫌なことをしているかんじでもなく、むしろ楽しそうにしている。
それは、本物のバスミルダであるかのように。
ジェヨンは自分を求めてくれることが、うれしいんじゃないか。
でも、ヨジンは自分の大好きな親友が汚されていくのが許せない。
どうして自分がこんなにも大好きなのに、汚い大人たちに愛を与えてしまうのか信じられない。
きっと、寂しいんじゃないかなと思った。
でも、お金のためだけと割り切らせてジェヨンの援助交際を手伝う。
ヨジンは葛藤していると思ったし、「一人じゃ何もできないの」っていうジェヨンを助けることで
自分の存在意義も求めていたのかもしれないと思った。

ジェヨンは死に際に、売春した男に会いたいっていったのはどうしてだったんだろうか。
私は、ジェヨンが誰かと恋人みたいになってみたかったのかもしれないと思った。
死ぬ前にそういう思いをして死にたいと思ったのかも。

そこで、ヨジンはジェヨンのために、自分のことを犠牲にしてまで男を連れてくる。
そういう誰しもきっと持っている、小さい欲望を叶えてあげたかったんじゃないかな。
でも、ジェヨンは死んでしまって、ヨジンは自分のこと責める。

でも、実際にはジェヨンはいなくて、ジェヨンはヨジンの心の中にいるもう一人の自分なのだ。
どうしてもう一人の自分を作り出さなくても、生きていけるようになったのか。
私はあとから気付いたけど、どうしてそこでジェヨンが消えたのかはわからない。

ヨジンは一人ぼっちになって、そこから次の<サマリア>に進んでいく。

<サマリア>
サマリアでは、ヨジンがジェヨンみたいになった。
あんなにジェヨンがやっていたことを嫌っていたのに自分もしている。
でも、嫌々そうではない。

ジェヨンを自分に重ねようとしているようにも見えたし、
もしかしたらジェヨンがどうして嫌じゃなかったのかわかったのかもしれない。
そして、彼女もバスミルダになろうとしたのかもしれない。

途中ヨジンが売春する男に叩かれても、笑い続ける場面がある。
私はどうしてもヨジンが笑っている理由がわからない。
いろんなレビューとかも読んでみたんやけど、誰もふれてなくてヒントもらえなかった(笑)

しばらく考えてみて、ヨジンは自分の心変わりに笑っているのではないかと思った。
あんなにジェヨンがやっていることを嫌がっていたのに、
自分もそうして男からの感謝の言葉にむしろ満足している。
しょせん人の心なんてすぐ変わるって言われているかのような。

難しくてわからない。 ぜひみなさんはどう思うか、教えてください。

<ソナタ>
ここからはヨジンの父の話になるらしい。
父は一言も娘の援助交際について、娘と話そうとはしない。
男のことを責め、あまりにも冷静に追い詰め、そして死に至らしめる。

普通は娘にやめろって言うところが最初じゃない?って思った。

そこで思ったことが、父はあまりにも娘のことを”幼い子ども”として見ているということ。

朝ヨジンを起こして、寝起きの音楽を聞かせるためにヘッドフォンまでしてあげて、学校にも送っていく。
キンパプ(海苔巻き)を作っている場面では、ヨジンの口にキンパプを入れてあげる。
深読みしすぎかもしれないけど、手に渡すこともできるじゃない。

「娘は一人じゃ何もできない、自分がやってあげなければ」って思っているのではないか。
だから、娘には何も聞かず、自分がどうにかして娘を汚した男たちに罪を与えようとしているのではないか。

お墓参りに行ったとき、真夜中ヨジンは一人で泣く。
父はそれを見て、安心したと思う。
援助交際なんてことしながらも、ちゃんと泣ける純粋さ、子どもらしさに安心する。
自分が男たちにしてきたことは間違ってなかった、と思っただろう。
こんなに幼い娘に代わって、私が罰を与えなければならなかったと。

石が邪魔で車が動かないのをヨジンがどける場面、ヨジンが遊びで車を運転する場面。
そこで父は、娘は一人で歩いていけるかもしれないと思う。

そして、それまで自分が男たちにしてきた行為は間違っていなかったが、
もう自分はいなくてもいい、自分の役割は終わったと悟る。

そして最後の場面。
ヨジンが車を運転していたところに、パトカーが来て父は何も言わずに乗っていく。
たぶん自首する。

娘は一人になるが、なんとかして帰ろうとする。
ぬかるんだ道でタイヤが動かない。進まない。
ここは、娘に対して与えられた試練で、これからは一人で乗り越えていきなさいっていうことを語っているのではないか。

父がヨジンを河原に埋めようとするシーンは、結局ヨジンの夢なのだけど、
ヨジンは父の怒り、悲しみ、そして自分が犯した大きな罪を感じとったと思う。
自分を埋めてしまいたいほどに、父は自分に対して失望し、
そして自分のことを愛してくれていたのだと気付く。

おわり。

このように書いてきましたが、いろんなレビューを読んでいると、
こんな見方もあるのかーと気付くところが多くておもしろかったです。

のぼうずさんが書かれているレビューが、私と違った見方や聖書の話などが書いてあって、
勉強になったので紹介させていただきます。
「なぜ犬は尻尾を振るのか。(サマリア)」
イラストがそっくりでかわいい!
リンク許可してくださってありがとうございます!


とにかくいろいろと考えさせられる作品でした。
音楽がすごく印象的で、観終わってしばらく頭の中でぐるぐるしました。

キリスト教を知っていると、たぶんまた違う目線で見れると思いました。
父が車の中で娘に話す話しも、信者なら意味がわかるのかもしれません。
キム・ギドク監督は熱心な信者だからそういうオマージュ、メタファーも多いらしいです。

好き嫌い分かれると思ったけど、私は他の作品も観てみたいなーと思いました。
こういう作品って観終わった後、ドバーって疲れるけど、中毒になります。笑

気付いたらこのレビューレポートより真剣に書いてました。笑
テスト勉強も真剣にやらなきゃ。笑 

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